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雨竜の歴史 話題編

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中学校活躍

雨竜中学野球部全道大会出場の写真
中学野球部全道大会出場

1995年(平成7年)に雨竜中学校野球部が中体連野球大会空知地区予選で初優勝し、全道大会進出を果たし、役場庁舎には「めざせ!全道制覇」垂れ幕が掛かるほどの盛り上がりを見せました。全道大会は残念な結果に終わりましたが、その後、滝川西高等学校に進学し野球部に入部した7名が原動力となり、見事甲子園出場を果たし、2度の快挙に町から特別表彰が贈られました。また、1996年(平成8年)には日本管楽合奏コンテスト全国大会で雨竜中学校吹奏楽部が最優秀グランプリの栄冠に輝きました。

2002年(平成14年)には、わずか9名という部員数ながら、雨竜中学校バレーボール部が空知地区予選を突破し、悲願の全道大会出場を果たしました。

交流

雨竜小学校は同緯度にあるカナダの商都トロント市の日本語学校と1980年(昭和55年)に姉妹校の契りを結び、学校行事をビデオに収め、年2、3回交換し交流を深めてきました。1983年(昭和58年)の夏休みを利用してカナダから4人の児童の訪問が実現し、授業を一緒に受けたり、ホームステイを通じて地域とふれあい、人的交流がスタートしました。その後も雨竜小学校の児童がトロントを訪問するなどし、友情の輪が広がっています。また、平成7年から英語指導助手(AET)の制度が雨竜でも導入され、これまでに5人の方が来日し、学校教育を中心に地域にとけこみ、国際交流の発展に寄与されています。

トロント日本人学校初来日の写真
トロント日本人学校初来日

そのほか、「竜・龍」のつくマチが相互協力と交流をテーマに毎年開催されているドラゴンサミットの子ども版としてミニドラゴン交流事業が行われており、鹿児島県龍郷町や静岡県龍山村などと盛んに交流が行われています。

バッファローがいた

蜂須賀農場の正氏侯爵は、1930年(昭和5年)から3年間欧州諸国を遊学した後、北アメリカにも遊学、その時に北アメリカ動物園に日本猿10頭を寄贈しました。そのお礼として1940年(昭和15年)に雄雌2頭のバッファローが送られました。雨竜にバッファローがいたことだけでも驚きなのに、なんとこの2頭から子供が産まれ、当時の蜂須賀農場には3頭の野牛がいると話題となり、見物人で賑わいを見せました。この3頭は、1945年(昭和20年)に肺炎を起こして次々と死んでしまいましたが、バッファローを飼育し、繁殖を成功させたケースは全国でも雨竜だけではないかと思われます。現在、北大植物園・博物館の標本室に一頭が剥製として保存され、当時の勇姿を偲ばせています。

岸信介総理来村

岸総理大臣来村の写真

岸総理大臣来村

1957年(昭和32年)9月22日、岸信介総理大臣が雨竜を車で通過することになり、総理大臣来村は開村以来はじめてのことであり、雨竜市街に2千人、追分市街に1千2百人が詰めかけ沿道を囲みました。当初、雨竜での下車は計画されていませんでしたが、熱狂的な歓迎に岸総理は車を降り、100メートルを5分ほどかけて歩き、集まった人々と握手を交わし雨竜を後にしました。雨竜の歴史の中で現役総理大臣が訪問したのははこの1回のみです。

ヨットレース

暑寒ダムのヨットレースの写真
暑寒ダムのヨットレース

「雨竜でヨットレースを開催する場所はどこがいいですか?」と聞かれると、多くの方は「石狩川」と答えるのではないでしょうか?1984年(昭和59年)の広報誌を見ると詳細は分かりませんが、なんと暑寒ダムでヨットレースが開催された記述がありました。

まつり

毎年、8月に開催される「暑寒まつり」は、1977年(昭和52年)に「産業まつり」として開催されたのがはじまりで、途中「町民まつり」と名を変えて現在に至っています。祭りのメインアトラクションもお馴染みの百足競争や三世代交流綱引き大会のほか、時代を反映して、国道を練り歩く「千人踊り」や一世を風靡した「ひげダンス大会」などユーモア溢れるイベントが開催されてきました。

暑寒まつり三世代交流綱引きの写真
三世代交流綱引き
千人踊りの写真
千人踊り

また、「ビール早飲み大会」や「たばこの銘柄当てクイズ」など、現在では考えられない過激なゲームも行われていました。

たばこ吸い当て大会の写真
たばこ吸い当て大会

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