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雨竜の歴史 施設編

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いきいき元気村

いきいき元気村は、1993年(平成5年)から整備が進められ、1994年(平成6年)に高齢者健康福祉センターとして「いきいき館」、子ども交流プラザとして「なかよし館」が完成し、翌年7月21日にパークゴルフ場が竣工しました。これらの施設は、生きがいの追求と定住のよろこびをテーマに異世代間の交流拠点として建設されました。

いきいき館にはサウナを完備し、美しい日本庭園を眺めながら入浴できる大浴場のほか、機能回復訓練室や会議室、大広間なども整備されています。また、パークゴルフ場は、全36ホールの起伏に富んだ本格的なコースとなっています。いずれの施設もリーズナブルな料金設定となっています。

パークゴルフ場オープン(1995年)の写真
パークゴルフ場オープン(1995年)

スポーツ施設

町営プールは、現在利用されている施設の中で最も歴史が古く、1968年(昭和43年)7月21日にオープンしました。

町営プールオープン(1968年)の写真
町営プールオープン(1968年)

当時の日本は高度成長の時代を迎え、経済・産業がめざましく発展していましたが、それに伴い河川や沼が工場の廃液や農薬などによって汚染され、雨竜においてもこの問題は深刻になっており、ここでの水泳が全面禁止となっていました。こうした状況を背景としてプールが整備されることになり、オープン当日はこの日を待ちわびた子どもたちで大変な賑わいを見せたようです。写真をご覧いただくと上屋が架設されていませんが、上屋は1982年(昭和57年)7月10日に架設され、また、1996年(平成8年)に改修工事が施され、現在の姿になります。

スキー場オープン(1982年)の写真
スキー場オープン(1982年)

1982年(昭和57年)12月19日にオープンした町営スキー場は、ロープリフト2基のほか、圧雪車やナイター照明も設備されており、無料で利用でき、初めてスキーをする子どもの練習場所として親しまれてきましたが、スキー人口の減少や町財政の悪化などにより、2004年(平成16年)に廃止されました。

改善センター落成(1981年)の写真
改善センター落成(1981年)

農村環境改善センターは、町民のスポーツやレクリェーションへの積極参加による運動不足の解消と体力の増進を目的に1981年(昭和56年)12月に完成し、落成記念として約800人の観衆を集めて妹背牛商業高等学校対拓殖銀行バレーボール部の招待試合が行われました。施設の老朽化にともない改修工事が行われ、2004年(平成16年)4月のリニューアルオープンしました。

公民館は体育館?

雨竜の公民館は、1955年(昭和30年)4月に開館したのが始まりとされており、その後青年研修所に活動拠点を移しましたが、利用頻度が高まるにしたがい手狭になり、1965年(昭和40年)8月20日に現在地に建設され、NHK素人のど自慢演芸会が催されました。しかし、この公民館は、国民年金融資を財源としたため町立体育館として落成することになりました。

体育館(公民館)落成(1965年)の写真
体育館(公民館)落成(1965年)
公民館落成(1978年)の写真
公民館落成(1978年)

その後、付属大ホール(体育館部分)が取り壊され、1978年(昭和53年)8月に新公民館が完成し現在に至ります。また、1992年(平成4年)4月にはふれあいセンターが完成、1997年(平成9年)4月に道の駅田園の里うりゅうがオープンするなどし、現在の町並が形成されています。

ふれあいセンター完成(1981年)の写真
ふれあいセンター完成(1981年)

治安

雨竜に入植以来、約20年間は住民自ら治安を維持していましたが、ならず者の出没や1898年(明治31年)7月に樺戸監獄の脱走囚6名が強盗に押し入る事件の発生などにより、住民だけで対処することが難しくなり、1908年(明治41年)12月24日に駐在所が、1916年(大正5年)には追分駐在所が設置されました。1945年(昭和20年)10月に特高警察や治安維持法が廃止されたことにより、警察の民主化が進み、その職務も防犯から事故防止に変わり現在に至ります。また、雨竜駐在所は、2001年(平成13年)12月に現代的な施設として新築されています。

大正時代の私設消防団の写真
大正時代の私設消防団

1911年(明治44年)5月15日に施設消防組が出初式を行ったのが雨竜の広域的な消防活動のはじまりとされていますが、経費の都合により公設消防組への移行は難しく、公立消防組が設置されるのは1927年(昭和2年)4月になってからでした。しかしながら、ポンプなどの消火器具は進歩していましたが、費用が乏しく設備の近代化は遅れていました。

昭和初期の消火活動の写真
昭和初期の消火活動

1938年(昭和13年)6月19日に雨竜史上最大の火災(雨竜大火)が発生し、市街の中心部を消失しました。

雨竜大火(1938年)の写真
雨竜大火(1938年)

これが動機となり、翌年から近代化が進められる一方、戦火の拡大に伴い警防団と改組され、戦時中は防空壕づくり、焼夷弾の消火方法などの指導や灯火管制の訓練が主な業務となり、終戦までその活動が続けられました。1948年(昭和23年)に消防団が再び発足され、1972年(昭和47年)に滝川地区広域消防事務組合が発足したことにともない、雨竜支署が設置され、消防団とともに防災活動を行う現在のシステムが確立されました。

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